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和食器の虫喰い
虫食い女将の嘆き
あ~んッ
二階から女将の絶望的な悲鳴が上がっています
新婚当時ならすっ飛んで上がっていた店主も
今じゃ空気の流れのようなもので、ラクダが振り向いたように首を動して目を細めます。
あ”ーんモウ!! コレもコレもコレもぉ~お!
夫婦も長くなると長年の経験で、このたありで声をかけとかないと待遇に影響するとすぐ判断して腰をあげます。
省エネの為に、階段下から「お~い」とやる気のない問いかけ。「どうしたん?」
もー見てぇ~
仕方なく二階へ上がります。 動機付けがありませんのでゆっくりと
女将は手にしたブラウスの襟を見ながら
虫ちゃんよ虫喰いよム・シ・ク・イ!ショックぅ
見事に大小の2つ穴が空いてます。
オレは別に気にせんよ。と慰めたつもりが火に油を注いだようで
1.このブラウスを買う為にどれだけ待ったか。
2.このブラウスを買う為にどれだけ迷って迷って迷ったか。
3.このブラウスが自分にはどれだけ高かったか。
4.このブラウスに亭主はどれだけ無関心だったか。
以上を速射砲のように亭主に訴えたのでした。
虫のバカ~
女将がキョエちゃんになっちゃいました。
焦った私は、「ほら俺の茶碗なんぞムシクイだらけで超お気に入り・・・」
火に「油」と「アルコール」と「火薬」を放り込んだようになりました。
和食器の味「虫喰い」
洋服や木材のなどの「虫喰い」は時にとても嫌われるものです。
女将には叱られましたが、器の世界にもあるんです「虫喰い」
何度か登場しているお茶碗ですが、よろしければもう一度、ご覧くださいませ。
これ私が長年愛用して奇跡的に10年以上の長きに残っているお茶碗です。
元の姿は少し窯変(ピンクやオレンジ)が少し入った白いものでしたが、今ではアチラこちら黒い点や釉薬が小さく剥がれた跡が見えます。
エッジの小さなクレーターのように見えるのは釉薬の内側の素地に入っていた小石が剥がれて取れた跡
「石ハゼ」や「虫喰い」などと呼んだりしています。
いわゆる和食器の味のひとつです
でもこれが眺めていると、なんとも言えない味があってまるで茶席に出る茶碗のような趣なんですね。 何だか古臭いキタナイと感じる方もいらっしゃるとは思いますが、長い間土物和食器を愛用していると、ほとんどの方は、この「使う」事で「少しずつ出来上がる味」に目覚められるようです。
藍染の原料の蓼(たで)は食べると苦い味がするそうで
蓼食う虫もすきずきという言葉が生まれたと聞き及びます。
器も「虫喰い」も同じなのかもしれませんが、これは私たち日本人ならではの独特の感性でもあると思います。
和食器の味を出すコツ
ところで、このように変貌してきて味と感じる為には、選ぶのにちょっとコツがありまして
たとえばこのお茶碗の場合ですと
1. 真っ白など均一で変化のない器は、最初からできる限り避ける
変化のない均一な表情だと、味が汚れと感じてしまう事が多いからです。例えば磁器ですと一般的に茶渋は汚れとして嫌われますが陶器(土物和食器)ですと貫入(かんにゅう)というひび割れ模様として楽しまれる事が多いです。
2. 適度に「釉薬の流れ」または「窯変」この器の場合は御本手(ごほんで)と呼ばれるピンクなどが現れている変化のある器を選んでおく。
3. 何より石物和食器(磁器)よりは土物和食器(陶器)を選ぶ事。
これは、陶器の方が親水性が良いので変化が入りやすいからです。
そうそう、
選ぶ以外に大切な条件がありまして、それは・・・
4. 大切に長く頻繁に使う事です。
以上をご参考にしていただき、特に4番目の長く頻繁に使う事に努めていただくと、あなただけのオリジナルの和食器が出来上がるわけです。
味ある茶陶の文化
日本には世界に誇る「茶道」という文化がありますが、萩焼・備前焼・志野焼・楽焼・唐津焼など茶陶で有名な焼き物はほぼ例外なく親水性がよく、変化を愉しむ事ができます。
逆に言えば、だからこそ茶人に愛されたのでしょう。これも底辺には「自然を受け入れる」つまり変化を受け入れるという私たち日本人独特の素敵な感性というか文化が息づいています。
日本人の感性
むかしから自然災害も多く、特に昨今は困りものなのですが、苦しさや悲しさ・切なさなどを胸にひめながらもお真摯に黙々と掃除をする被災地の皆様の姿に胸が詰まる思いですが、これも「自然を受け入れる」という日本人ならではの感覚があってこその事ではないかと私は考えています。
多くの海外では、例えば茶渋がはいってできる貫入(ひび割れ模様)をStain(汚れ・染色)ととらえると思いますが、茶道では一服の「絵」として肯定的にとらえます。
貫入(かんにゅう)についてはコラム「和食器の化けるを考える」をご覧ください。
「和食器の虫喰い」まとめ
美術館などが所蔵する銘品といわれる茶碗の多くが、使われてその風情や美しさが創られてきたものかと思います。
その風情を意図的に釉薬などで作っている器も多くありますが、これは使っていても正直いずれ飽きてしまいます。
それよりも
「使われて使われてその跡を少しずつ残してゆく器」
「使い手と人生を共にする器」こそが素敵なのではないでしょうか。
時代は変わっても「日本人の感性」は変わらず大切にしたいものですね。
お求めの際のご相談はお気軽にお申し付けください。
それではまた