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有田 和食器の源流探訪

こんにちは。【おとなの和食器屋 さんすい】の店主乙木(おとぎ)です。

先日、有田焼で皆様ご存じの佐賀県有田町の作り手池田さん宅へふらりと遊びに行きました。毎年ゴールデンウィークの有名な「有田陶器市」では人人人でいっぱいのメインストリートもご覧の通り静かなものです。

登り窯の連判状

連判状

池田さん宅で、ちょっと仕事のお話し(絵付け)と同じ趣味のアコースティックギターのお話しと唄で日が暮れました。

ふと座敷の上を見ると・・・

なんだか、いかめしそうな巻物のようなものが額に収まっています。

なに!

連判状!”

すわっ こ これはなんだか物騒なものじゃないかっ! と聞くと、笑いながら

イヤイヤ、こりゃ共同窯の連判証だと言います。

池田さんによると1828年(文政11年)、今から190年ほど前に有田は台風による火災(文政の大火)で多くの家屋家財が消失したそうで、その中で残っている貴重な書状なんだそうです。

ご自宅は近くの大きな銀杏の木のおかげで被災を免れたと言い伝えられているそう。 大河ドラマの西郷隆盛さんがちょうど生まれた年くらいのお話しでしょうか。

思わず写真を撮ってみました、貴重な資料ですのでぜひご覧ください。

最初の文はおよそこんな意味のようです

連判證(証)
今般西登り、来る十二月十日
火入れ相定め、銘々釜割りの通り
相違なく積み入れ申すべく候、万一
疎(おろそか)の儀など出来(しゅったい)いたし候節は
何分の御手当を請け候とも
申し訳御座なく候、仍(よっ)て連判
差し出し置き候、件(くだん)の如し

15番までの長い登り窯だったのでしょうか、それぞれに作り手のお名前が入れられ窯割りされています。
12月10日に火を入れるので、それまでに必ず入れなさいよ、
もしおろそか(遅れる)な事があった際は賠償に関して異存申し立しない事を連判し約束します。

てな意味でしょうか? 店主の訳はちょっと自信ないのでおよそという事で(^^;

池田さんは、この書状にしたためられている池田傳(伝)平さんの子孫なのですが、一代目が天保7年没(1824年)ですので、おそらくは三代目か四代目くらいの頃の書状ではないかという事です。

赤絵師池田さんのご紹介

磁器も登り窯

エ?

有田って磁器で有名じゃん
登り窯って陶器でしょ?

イエイエ?

江戸時代にはガス窯も電気窯も灯油窯もありません。 全部薪窯です。 だから大変な労力なわけです。
一回の窯炊きで効率よく共同で焼くための登り窯という事ですね。

有田の街中ではいたるところに古い窯の跡があり、今でも陶片などが出土すると聞き及びます。
残念な事に心ない小さな盗掘が絶えず、大きな窯跡は別として昨今はあまり標識なども目立たなくしているとの事です。(店主友人からの情報)

陶器市で器を見つけるのも楽しいのですが、全国それぞれの古い生産地には面白い史跡や資料やお話しが眠っています。
そんな歴史探訪も兼ねるとさらに楽しくなるのかもしれませんね。

 

器の原料 先人の苦労

今でこそある程度の原料は電話一本で全国どこでも届く世の中になりましたが、何百年か前までは宅配なんてありませんしバスもトラックもない時代。良い原料がもし見つかったらそこで器の生産をして地域の産業となるというのは自然な事だったのでしょう。

物を作るためには、「原料」と「作る技術」が必要なわけなのですが・・・。

秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた陶工 李 参平(り さんぺい)さんによってその「作る技術」が、そして李さんが苦労のうえに見つけたのが
有田で採れる良質の原料である磁石だったのです。なんて一文で片づけるのは大変失礼な事で、様々な悲哀やご苦労があった事かと思います。

日本の磁器(石物和食器)の発祥の地といわれる有田ですがそんなわけで、良質な原料と朝鮮陶工の技術で発展した事がわかります。

磁石場

有田では、当時の磁器の原料を採掘した磁石場(じせきば)が保存されています。
写真ではその大きさがわからないなぁと思って女将をバックに一枚。


写真の右の方に女将がいます。小さく見えます(笑)

いかがですか? 思ったより大きいでしょ?
朝鮮から渡って来た陶工「李 参平」が17世紀初頭に発見した歴史的な場所がこの泉山磁石場(いずみやまじせきば)なのです。

今は史跡となり階段も設けられていますが、埋め込まれた陶片がなかなかカワイイのであります。

江戸時代、良質の泉山陶石(磁器の原料)は代官所によって厳しく管理・統制させていたそうです。 鍋島藩の御用窯が最も上質な原料を使いそれ以外の窯焼きが購入する場合も等級の区別がありました。 この御用窯がいわゆる伊万里焼(いまりやき)として発展したわけです。

高い技術で豪華絢爛に装飾され制作された御用窯の焼き物は、伊万里の港から各地へ渡る事になります。
一方、有田は伊万里より大衆に近い層に向けた焼き物づくりをするよういになったと聞きます。それでも有田焼は全国的には高級磁器というイメージがありますね。 私は伊万里焼の存在と、良質な原料のおかげだと思っています。

明治時代になると年間なんと約1万トンもの磁石が掘られていたそうです。当時は採掘機器などなくツルハシなどの人力で行ったわけですからその量がいかにすごかったかがわかります。

エ?

ピンとこない?

ん~~(^^;  そうだっ!

現在の乗用車の重さがざっと1トンとして、手掘りで乗用車1万台分の重さ。 これでいかがでしょう(^^)。

四百年かけてひとつの山を焼き物にかえたといわれるこの泉山磁石場も、廃水の不備などの理由で現在は熊本県天草地方(天草陶石)にその生産地の座を譲って、今は国の史跡として有田の街中にひっそりと残っています。
一方、陶工たちは李三平さんのご子孫も含め400年以上にわたりこの地で生産を行い、皆様ご存じの通りの一大生産地となったわけですね。

元々は陶器(土物和食器)が大好きな私なのですが、先代(父)から「有田はぜひ紹介すべし」との勧めもあって最近は時々足を向けます。

 

磁石のお話し

ところで、磁器の器の原料を磁石や陶石などと言います。 皆様は毎日のようにお家だけではなく例えばホテル・レストランなどで磁器の器に触れていると思いますが、その綺麗な器の原料をご覧になった方は少ないかもしれません。

実際に磁石場で磁石を触ってみました。ご覧のようい少し触っただけでまるで小麦粉のように指先が白くなります。

これを陶石と呼んだりするのですがガラスの材料の長石や珪(けい)石を多く含みます。 一般的には、この原料だけではパンケーキの生地のように腰がありませんで、粘り(腰)のある粘土を混ぜて高い温度で焼きます。

思うに、精製技術の発達していなかったであろう明治以前には良質の原料が採れる事が絶対条件で、その天然の純度で器の単純な白さ(美しさ)が決まったのでしょう。 有田がいわゆる磁器の中でも高級品として全国的に認知された歴史は、そんなところにあるのかもしれません。
有田でも昔は、鍋島藩の御用窯(伊万里)が最も上質(天然の純度の高い)な原料を使っていたと言われています。

石場神社

そういえばこの磁石場の守り神がいる石場神社への道もよく見ると磁石らしきものでいっぱいでした。

この神社には有田焼の祖、李三平さんの磁器製の銅像があります。 私も参拝。

磁器は白くて綺麗とはいえ精製技術などが発達していなかった昔の有田のお品、いわゆる古伊万里と呼ばれている品たちもその中のひとつですが、
不純物が混ざる特有の色合いがあったようです。

【おとなの和食器屋 さんすい】がお付き合いする工房でも、そんな古い有田焼のテイストの再現を真面目に目指している若い作り手もいます。

灰釉しのぎ輪花小皿/磁器

こんな器をみて

やれ 「かっわい~~~買っちゃお」

だの

やれ「お花模様集めてるの~~」

だの言ってると

チコちゃんに叱られますよ。

あ、いや 和音(かずね)ちゃん(←作者です)に叱られるか・・・

 

 

編集後記
この原稿をメルマガで配信してすぐにNHKさんのブラタモリという番組で、タモリさんがこの磁石場を訪れていました。 ニアミスかな・・・。

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